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ドキドキさせてよ

だって、好きなんだもん!


by kiki

「オイディプス王」(DVD)

どうして彼は、あんなに悲劇が似合うのだろう。
日常的な感情とは異質な、壮絶な嘆きを演じるその姿に衝撃を受けた。

作/ソフォクレス
翻訳/山形治江
演出/蜷川幸雄
音楽/東儀秀樹

出演/オイディプス: 野村萬斎、イオカステ:麻実れい、クレオン:吉田鋼太郎

DVDで「オイディプス王」を観た。2002年6月15日、シアターコクーンにて収録されたもの。

人が、いまよりずっと神々に近いところで暮らしていた時代の物語。
現代の日常とは次元の違う強い感情や運命に動かされていく人々の物語。

古代ギリシャ、王オイディプスの治めるテーバイでは、疫病が蔓延し人々が苦しんでいた。
その災厄を鎮めるには、この国の前王を殺した者を探し、血の穢れを祓えという神託がくだされる。王は殺人者を探そうとするが、実はそれはオイディプス自身であり、しかも昔予言されたとおり、知らずに自分の父を殺し、母を娶っていたことを知る。
これがこのオイディプスの物語である。

ソフォクレスの書いた戯曲は読んでいないが、ストーリーは知っていた。たぶん「ギリシャ神話」の中の挿話として読んだのだろう。が、普通の小説などとは違い、登場人物に共感したり、感情移入することはなかった。自分達とは違う次元の話であり、起こった出来事は把握しても、そのなかで神々や英雄達がどう感じたかなどについては考えてみたこともなかった。

この舞台は、そういう悲劇を地上に引き降ろすのではなく、役者が神や英雄の高みに上って、そこで起こる神話の世界の出来事を生身で演じていた。

主役の2人は、崇高さ高貴さを失わないまま、怯えや愛や嘆きなど人間としての感情が伝わるよう演じている。
オイディプスは、嵐のような運命の中でも自分の意思を失わない。知恵で王座を勝ち取った彼は、嘆きも苦痛さえも自ら選び取るのだ。予言より理性を信じ、ついには神々に敗北して滅びていく。その愚かさと弱ささえ、高貴なままだ。
イオカステはただ立っているだけで凛とした気品を感じさせ、その高貴な美しさのまま、母であり女でもある顔を見せてくれる。

たとえば、テーバイに災厄を招いている王殺しの犯人が、自分かもしれないと気づき、オイディプスが恐れる場面。
怯え震えるオイディプスの姿は、人としての脆さを見せているが、しかし彼はそこで事実を知ることをやめようとしない。

そのとき王を抱き寄せる王妃イオカステは、慈しみにあふれ神々しいまでに美しい。
だが観客は知っている。彼女がオイディプスの妻であるとともに母でもあることを。

だからこそ、ここでは夫婦というより怯える子どもと慈愛に満ちた母に見えるのかもしれない。

また、王妃が王より先に(自分たちが夫婦であるとともに母子でもあるという)残酷な真実を知り、それを知ろうとする王をとめる場面を見ていると、彼女がオイディプスを本当に愛していることが感じられる気がした。

彼さえそれを知らずにすむのなら、イオカステはその真実を知ったまま生きていくつもりだったのだ。恐ろしさに震えながらも。

神よりも正義よりも、愛する男が大切だったのだろう。

だが、彼がその制止を受け入れず、どうしても知りたいのだと叫ぶのを聞くと、「かわいそうな人」といって崩れ落ち、一瞬、獣のような叫び声を上げると館の中へ姿を消す。

そうしてみると、彼女がそのとき自ら死を選んだのは、真実を知ったためではない。
残酷な真実を知ったオイディプスと顔を合わせることができなかったためではないか。
少なくとも、私にはそんなふうに思えた。

そして、ついに真実を知ったオイディプスがあげる声なき咆哮。
よろめきながら館に入り、彼が眼にしたのは、愛するものの死……。
この時、彼にとって世界は崩壊した。

自らの目をつぶし、血まみれになって現れるオイディプスの壮絶な嘆き。
それは痛々しさに苦しく感じるほどで、観ていると人間の卑小さと神聖さに打ちのめされる。

我々は、ただ単に強いもの、単に美しいもの、単に正しいものに惹かれるのではない。
強いものが見せる弱さや弱いものが見せる強さに、
醜いものの中の美しさや美しいものの乱れるさまに
正しいものの過ちや悪党の中の良心に、
神々ではない人間のそういう人間らしさに惹かれるのだ。

日常の延長にある言葉では、語れない物語である。舞台の上に渦巻く凄まじい感情を、痛いほどの緊張感で役者が演じている。それこそ神憑りのように。

そういう舞台だった。
by kiki_002 | 2007-07-22 10:12 | 映像