「国盗人」についての雑感
2007年 07月 10日
6月30日、7月7日と観てきた「国盗人」についてもう少し。
友人が、「以前観た『リチャード三世』はとても凄惨だったんだけどね」と言った。
だが、「国盗人」はもう少し軽やかで、そして主人公の非道さよりも、悲しみが印象に残る。
どんなに酷いことをしても悪三郎を憎むことができないのは、
彼の欲望がわかりやすく、彼の言動が終始ユーモラスであったからだろう。
多くの台詞に洒落や皮肉を含んでおり、何度もニヤリとさせられた。
その滑稽な言い回しや表情などは、狂言師たる萬斎氏の面目躍如というところだ。
2度目に観たときは、舞台に近い席だったため、表情がよくわかっていっそうおかしかった。
たとえば王になることが決まったとき、悪戯がうまくいったときの子どものような顔で、
「選ばれてあることの恍惚と不安とふたつ、我にあり。ヴェルレーヌ」
などと、言うものだから思わず吹き出してしまった。
ついでに「アデュー!」だなんて。
そんな悪三郎が、次第に追い詰められ、余裕を失っていくのを観ていると、
ついつい彼に感情移入していってしまう。
自らしてきたことの報いとはいえ、
女達の呪いを一身に受け、殺めてきた者たちの影に怯えるさまは哀れだ。
決戦前夜、舞台手前の悪三郎と、その向こうにいる理智門が、似たフレーズを繰り返すシーン。
掛け合いのように、それぞれの言葉を発する悪三郎と理智門の対比が、いっそ残酷に見える。
神と正義を信じ、背筋を伸ばし微笑みを浮かべ、味方を励ます理智門。
影に怯え、すでに誰も信じることのできなくなっている悪三郎。
勝利を予言する夢を見ている理智門の安らかな眠り。
一方、悪三郎は、亡霊に祟られてうなされ、苦しげに寝返りを打つ。
その時の彼の手がなぜか印象に残っている。
悪夢から目覚めた悪三郎の悲痛な独白。
~誰を恐れる?自分自身?他に誰がいる?いや、俺は自分を愛している。本当に?~
幾千もの兵士より影が恐ろしいのだというその心の闇……。
戦場で、馬を駆り狂ったように戦う姿や、馬を失い足を引きずりながらなおも戦おうとする姿。
いつの間にか、ずっと共にあった影法師さえ理智門の元へ。
そして死の瞬間。
死の象徴である面をつけ、ゆっくりと背を反らせて倒れていく様子は美しくさえあった。
そんなふうに観ていたものだから、アンコールで萬斎氏が笑顔を見せたとき
なんだかほっとしたのかもしれない。
友人が、「以前観た『リチャード三世』はとても凄惨だったんだけどね」と言った。
だが、「国盗人」はもう少し軽やかで、そして主人公の非道さよりも、悲しみが印象に残る。
どんなに酷いことをしても悪三郎を憎むことができないのは、
彼の欲望がわかりやすく、彼の言動が終始ユーモラスであったからだろう。
多くの台詞に洒落や皮肉を含んでおり、何度もニヤリとさせられた。
その滑稽な言い回しや表情などは、狂言師たる萬斎氏の面目躍如というところだ。
2度目に観たときは、舞台に近い席だったため、表情がよくわかっていっそうおかしかった。
たとえば王になることが決まったとき、悪戯がうまくいったときの子どものような顔で、
「選ばれてあることの恍惚と不安とふたつ、我にあり。ヴェルレーヌ」
などと、言うものだから思わず吹き出してしまった。
ついでに「アデュー!」だなんて。
そんな悪三郎が、次第に追い詰められ、余裕を失っていくのを観ていると、
ついつい彼に感情移入していってしまう。
自らしてきたことの報いとはいえ、
女達の呪いを一身に受け、殺めてきた者たちの影に怯えるさまは哀れだ。
決戦前夜、舞台手前の悪三郎と、その向こうにいる理智門が、似たフレーズを繰り返すシーン。
掛け合いのように、それぞれの言葉を発する悪三郎と理智門の対比が、いっそ残酷に見える。
神と正義を信じ、背筋を伸ばし微笑みを浮かべ、味方を励ます理智門。
影に怯え、すでに誰も信じることのできなくなっている悪三郎。
勝利を予言する夢を見ている理智門の安らかな眠り。
一方、悪三郎は、亡霊に祟られてうなされ、苦しげに寝返りを打つ。
その時の彼の手がなぜか印象に残っている。
悪夢から目覚めた悪三郎の悲痛な独白。
~誰を恐れる?自分自身?他に誰がいる?いや、俺は自分を愛している。本当に?~
幾千もの兵士より影が恐ろしいのだというその心の闇……。
戦場で、馬を駆り狂ったように戦う姿や、馬を失い足を引きずりながらなおも戦おうとする姿。
いつの間にか、ずっと共にあった影法師さえ理智門の元へ。
そして死の瞬間。
死の象徴である面をつけ、ゆっくりと背を反らせて倒れていく様子は美しくさえあった。
そんなふうに観ていたものだから、アンコールで萬斎氏が笑顔を見せたとき
なんだかほっとしたのかもしれない。
by kiki_002
| 2007-07-10 01:06
| 舞台